大判例

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東京高等裁判所 昭和27年(ネ)196号 判決

被控訴人は控訴人に対し金九十二万九千二百四十三円を支払うべし。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二、事  実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、控訴代理人において、訴外内藤政登はすでに大正元年九月十七日本件土地に分家したものである。本件係争の土地中豊橋市新銭町七一番地宅地九六坪のうち四八坪は昭和二十六年九月十一日訴外小栗昌平において、同所七二番地宅地七五坪七合七勺は昭和二十二年十月七日訴外内藤美智代において、同所七三番地宅地一九坪三合九勺は昭和二十六年四月十日他の土地とともに訴外日本通運株式会社において、それぞれ被控訴人から譲渡を受け所有権を取得しその旨所有権移転登記を経ており、本件土地はもはや被控訴人においてこれを控訴人に引渡すことができなくなつたものであるから、控訴人はその代償として右土地の時価金九十二万九千二百四十三円の支払を求めると主張し、被控訴代理人において右各所有権移転及び登記のあつたこと、本件土地の時価が控訴人主張のとおりであることはこれを認めると述べた外、原判決に事実として記載されたところと同一であるからここにこれを引用する。

<立証省略>

三、理  由

被控訴人方当主が代々斉平を名乗つており、被控訴人の先々代二代目斉平(幼名初吉)は控訴人及び訴外内藤政登の実父で政登は控訴人の実弟であること、二代目斉平は大正三年一月中控訴人その他の子女近親に対し、財産分与を決意し、内藤政登に対しては「一、遠州山香村山林登記ノ分、見積元金七千円也、内藤禎三郎、内藤藤五郎名義七歩一、一、資本金一万円也、無利子、一、魚問屋株十株、一、田地、此控米十五俵分、一、宅地ハ凡二百坪位。右之通リ譲渡ス此証引替ニ本家ヨリ譲渡スル事。大正三年一月父内藤斉平内藤政登殿」と記載した証書一通を交付し、その記載にかかる金品の贈与を約束したこと、その頃資本金一万円、魚問屋株十株、及び控米すなわち小作米十五俵を収穫し得る田地については約旨にもとずきこれを履行したこと、右二代目斉平は大正七年八月二日死亡し、三代目斉平(幼名清次もしくは清次郎)においてその家督相続をし、次で右三代目斉平は昭和二十二年十一月二十九日死亡し、四代目斉平すなわち被控訴人(幼名要)においてその相続をして、順次権利義務一切を承継したこと、内藤政登は前記贈与契約にもとずくまだ履行を受けていない権利を昭和二十四年十一月十一日控訴人に譲渡し、その頃その旨を被控訴人に通知したこと、被控訴人が前記契約中山香村山林についてはその後控訴人に対し売却代金の七分の一にあたる金員を交付したことはすべて本件当事者間に争いがない。

控訴人は右証書に記載された宅地凡そ二百坪とは当時政登において分家して本籍地と定めた地及びその隣地である豊橋市新銭町七一番地宅地九六坪、同所七二番地宅地七五坪七合七勺及び同所七三番地宅地一九坪三合九勺(以上合計一九一坪一合六勺)を指すものであると主張するところ、成立に争いのない甲第四号証、同第五号証の各記載、原審及び当審における証人内藤政登の証言原審及び当審における控訴人本人尋問の結果(当審は第一回)原審における被控訴人本人尋問の結果(但し後記採用しない部分を除く)及び本件口頭弁論の全趣旨をあわせ考えると、二代目斉平は大正元年九月十七日三男内藤政登を豊橋市新銭町七三番地に分家させ、次いで大正二年三月には右政登の本籍地は同所七一番地に変更になつたが、当時右七一番地は宅地九六坪、同所七二番地は宅地七五坪七合七勺、同所七三番地は宅地一九坪三合九勺でその合計は一九一坪一合六勺でいずれも右二代目斉平の所有であり、右三筆の土地は当時右二代目斉平の本家の屋敷と地続きをなす一団の土地で、その地上には二代目斉平所有の家屋があり、その屋敷になつていたもので、政登は右分家とともにこの家屋に住むようになり、大正五年には同所で妻を迎えるにいたつたものであつて、控訴人自身も二代目斉平から前記同一の機会に財産分与としてその住居のあつた土地を貰い受けており、政登に対する宅地の贈与としても前記三筆の土地を目的としたものであつて、ただこれを証書に表示するについては右土地の地積に端数があり、かつ三筆に分れているところからたんに凡そ二百坪位としたもので、当時二代目斉平は豊橋市における一、二の資産家として他にも多くの土地を所有したが、右以外には政登に与えるべき「凡そ二百坪」の土地に当るべきかつこうのものはなかつたことを認めることができる。右認定に反する原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果は採用せず、原審における証人内藤ちよの証言によつては右認定を左右するに足りない。

被控訴人は右政登は控訴人とともに三代目斉平に対してさらに財産分与を求めて止まなかつたので、三代目斉平は大正八年三月三十日亡小出斉吉、亡内藤太平及び近藤寿市郎らのあつせんにより控訴人及び政登の両名に対して金五万円を贈与し、これに対し控訴人及び政登は覚書を差し入れ、以後本家継承者に対しては絶対に財産上の請求をしない旨誓約し、二代目斉平の証書による分与財産中履行未了のものについてはその請求権を放棄したので、この時政登の右土地三筆の所有権移転請求権も消滅したものであると主張し、控訴人と政登が三代目斉平から金五万円を受け取つたことは控訴人の認めるところであるが、この点に関する原審における証人内藤ちよ、同近藤寿市郎、同石川新七の各証言、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果は後記認定の事情にくらべてみて信用ができない。成立に争いのない乙第四号証(内藤政登の差し入れた覚書)同第五号証(控訴人の差し入れた覚書)にはいずれも「爾今以後本家ニ対シ財産分与ニ関スル故障等申間敷ハ勿論如何ナル場合ト雖モ財物又ハ引受、保証ノ請求或ハ不敬ノ行為等決シテ致間敷」と記載されてあることが明らかであるが、その意味は後記認定のとおりであつて、これをもつて政登が本件土地所有権移転の請求権を放棄したことの証拠とすることはできず、その他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。かえつて成立に争いのない甲第一号証、同第二号証の一、二、同第五号証、同第六号証の一、二、乙第三号証、同第六号証の一、二、同第七号証、前示乙第四、第五号証の各記載、原審及び当審における証人内藤政登、原審における証人野崎きく、同内藤ちよ、同石川新七、同石川寿市郎(但しちよ、新七、寿市郎については前記信用しない部分を除く)の各証言、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果(第一、二回)、甲第一号証が現に控訴人の手にある事実、前記当事者間に争いのない事実、並びに本件口頭弁論の全趣旨をあわせ考えると、内藤政登は前記のとおり二代目斉平から財産分与を受けることとなり、その一部は履行を受け、豊橋市内において石炭商を営んでおり、また控訴人自身も二代目斉平から前記山林の七分の一、資本金一万円、魚問屋株(豊橋魚鳥株式会社株式)十株及び宅地(当時の住所)の贈与を受けることとなり、その旨の書面を渡され、山林の分を除いてその余は当時全部その履行を受け、同市において材木商を営んでいたところ、控訴人及び政登とも二代目斉平の生存中は前記贈与にかかる分以外に生活上営業上種々援助を受けていたのであるが、二代目斉平が死亡して三代目斉平の代となると同人は控訴人や政登の異母兄であつた関係もあり、従前のような援助が得られず、控訴人と政登とは不満であつて、すでに分配を受けた財産は当時豊橋市で一、二を争う内藤家の財産にくらべては微々たるもので、これではとうてい内藤家の分家としての体面が保てぬとして兄たる三代目斉平に対してさらに財産の分与を求めていたところ、たまたま大正八年二、三月頃政登において、三代目斉平の引受けた為替手形額面約金十一万円(この点について証人内藤政登は当審においてこれを金五万円と供述するがこれは真実ではないと認められる)のものを現金に替えた上一時伊香保方面に赴いたことから多少の行き違いもあつて三代目斉平がこれを怒り、これには控訴人も関与しているものとし、親戚を集めて相談の結果同年三月三十日政登からは右現金(これはそのまま銀行予金にしてあつた)を返させた上、控訴人及び政登から詫びを入れることにして改めて三代目斉平からさらに財産分与として控訴人及び政登に金二万五千円ずつ贈与し、これに対し控訴人及び政登において前記摘録のような文言を記載した覚書(乙第四、第五号証)を右三代目斉平に差し入れて解決したこと、その後控訴人は昭和十九年五月六日三代目斉平より二代目斉平の贈与を約した山林の七分の一の権利として同山林売却代金の七分の一金六千六百円外一千円の支払を受けると引換に、二代目斉平の右贈与を約した証書を求めにより三代目斉平に交付し、あらためて右証書中二代目斉平の署名押印部分を抹消し本文にも斜線を引き末尾に「今回本証之物件全部譲渡済ニ付爾後本証無効トス依テ反古トシテ下渡ス一九、五、六」と記載したもの(甲第五号証)の返還を受けたのに、政登に対する証書(甲第一号証)はそのまま同人の手に残されその後控訴人が所持するにいたつたこと右山林売却代金の七分の一は昭和十八、九年頃政登に対しても三代目斉平においてこれを提供したことを認めるに十分であつて、これらの事実によつて見れば、大正八年三月三十日控訴人及び政登が三代目斉平に前記覚書を差し入れて約したその趣旨は、二代目斉平の贈与を約した分以外に三代目斉平においてさらに前記各金二万五千円を控訴人及び政登に追加して与え、これによつて今後控訴人らはこれ以上に財産分与を請求したり金員を要求したり手形の引受や保証を求めたりすることはしないというに過ぎないものであつて、すでに二代目斉平の贈与を約した分で未履行のものの請求まで放棄したものではないことが明らかである。この点の被控訴人の主張は理由がない。

次に被控訴人は内藤政登に本件土地三筆の請求権があつたとしても、二代目斉平の死亡した大正七年八月二日から起算し満十年の経過によりすでに時効によつて消滅したと主張するに対し、控訴人は三代目斉平は昭和十八年中内藤政登に対し前記山林売却代金の七分の一を提供して贈与契約にもとずく債務の一部を承認したから時効はこの時中断したと主張する。右昭和十八年頃三代目斉平が前記山林売却代金の七分の一を政登に提供したことは被控訴人の明らかに争わないところであるから、これによつて三代目斉平は二代目斉平の贈与にもとずく債務を承認したものと見るべきものであつて、当時すでに消滅時効が完成していたとしても(二代目斉平の死亡当時から起算すれば昭和三年八月二日、前記覚書の差し入れ当時から起算すれば昭和四年三月三十日の経過により時効期間は満了する)この時において時効の利益の放棄があつたものと認めるべきものである。被控訴人は山林についての債務の承認と本件土地三筆についての承認とは別個のものであるから、前者について承認があつても後者の時効に消長はないと主張するけれども、本件は一個の贈与において内容の可分な数個の給付を約した場合であると見るべきものであつて、その時効期間も括一的に進行するものであり、右山林売却代金の提供も二代目斉平の約した贈与にもとずく政登の債権がなお有効に存続することを認め、その時効の利益を放棄したものと認めるべきものであるから、これによつて同じ債権の一部である本件土地所有権移転の請求権についても時効の利益の放棄が及ぶものと解するのを相当とする。

しからば被控訴人は控訴人に対し本件土地三筆を譲渡すべき義務あるところ、右土地中豊橋市新銭町七一番地宅地九六坪のうち四八坪は昭和二十六年九月十一日訴外小栗昌平において、同所七二番地宅地七五坪七合七勺は昭和二十六年十月七日訴外内藤美智代において、同所七三番地宅地一九坪三合九勺は昭和二十六年四月十日他の土地とともに訴外日本通運株式会社においてそれぞれ譲渡を受け、所有権を取得しその旨の登記を経たことは当事者間に争いなく、同所七一番地のその余の部分はすでに昭和二十二年十月七日被控訴人から訴外内藤尚子に譲渡しその旨の登記がなされていることは成立に争いのない乙第九号証の記載によつて認め得るところであるから、右三筆の土地を控訴人に譲渡することは、特段の事情の見るべきもののない本件においてはすでに履行不能に帰したものというべきであり、右三筆の時価が金九十二万九千二百四十三円であることは被控訴人の争わないところであるから被控訴人は右債務不履行によつて控訴人に対し同額の損害を生ぜしめたものというべく、これを賠償すべき義務あることは明らかである。

よつて控訴人の本訴請求を正当として認容し、これと異なる原判決は失当であるからこれを取り消し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十六条第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤江忠二郎 原宸 浅沼武)

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